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大腸癌末期を完治させる

ある日突然62歳の父が直腸癌末期と診断されました。娘として父を絶対に救います。

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抗ガン剤治療 1stライン

翌日。
父は一晩寝て、どうやら抗ガン剤治療をする事に対し頭で整理できたようです。
頭脳派の人間なので、頭で整理さえ出来ればかなりの事まで気楽に過ごせる人なのが幸いでした。「先生がやれと言うのだから、もうやるしかない」そう言っていました。

早速FOLFOX抗ガン剤治療(5FU・ロイコボリン・エルプラット)が始まりました。
2週間に一度、3日間体内に入れ続けます。

抗ガン剤と言っても、見た目はただのアンプルです。
抗ガン剤を薄めるためにビタミン剤や、吐き気止めを入れてくれているのも分かりました。

看護師さん達も皆さん優秀。
ストーマ装着の練習や、受け答え、頻繁な巡回、患者とのコミュニケーション、時に医療従事者として厳しく患者に接するなど、神経質な私でも「完璧」と思える教育がされています。
一人一人の看護師さんが、医療従事者としてのプライドを持っているように感じました。
田舎の威張り腐った言葉使いも知らないタバコ臭プンプンの茶髪看護師とケタが何ケタも違います。

不安そうにパイプ椅子に座って
母&私「お父さん、調子は?大丈夫?」と言うと
父「だいじょぶじゃねーの?多分。あ、喉が痛い、あ、そうでもない」
とテキトーな返事をし、枕元にあったライトをハゲている自分の頭にあてていました。
父は私たちの心配を察し、逆に笑いを取ろうとしたんでしょう。
分かっているものの、その姿があまりにおかしく、
母と私は「頭に反射して更にまぶしい」と、静かな病棟でヒヒヒと笑いを堪えていました。

そこから数分。
ゆらっと揺れました。
あれ?と思った時には、建物が大きく揺れています。
9階だから都会じゃ普通の事なのかと思ったら、他の患者さんが地震だと騒ぎ出し、皆病室から出てきました。とても大きい揺れです。今までに体験した揺れの中では一番です。

5秒ほどでしょうか、それでもやまない揺れに
父は「これはヤバい」と言い、
私たちに何を言う事もなく、自ら外出用の靴をはき、携帯をポケットに入れ、一人アンプルを引き、病室の入り口をおさえていました。
慌てて私はその父を支え、その私を母が支えます。「大きなカブ」という童話の状態です。
他の患者さん達はワーワーと騒ぐだけです。

数秒もしない内に、看護師さん達が各部屋に一人ずつ来て、入り口をおさえながら気丈に
「大丈夫ですかー。大きい地震ですね〜」と笑って言うんです。
揺れ続けながらも、看護師さんの気丈な言葉に安心し、揺れる中で
私は母に「お父さん、抗ガン剤引っ張って一人で逃げようとしたよね?この人どんだけ生きる気だろ?」とひっそり言うと、母は揺れの中でヒヒヒと笑っていました。

忘れもしない、父の抗ガン剤が始まった日。
そう、これが3.11の地震です。

今思えば、ディズニーランドの対応が随分と評価されていますが、あの病院の対応もかなり評価されて良いと思います。看護師さんだって怖かっただろうに。消化器が倒れるとすぐに直したり、患者さんへ大きな声で声掛けしたり、非常口のドアの確保もしていました。素晴らしかったです。

長く大きな揺れが終わった後、テレビをつけると皆さんご存知の通り凄い事になっていました。どこのテレビ局も日本地図です。
院内のエレベーターは停止。
どうやらトイレの水も逆流しているのか茶色になっていたようです。
一体何なんだ、何が起きたんだと不安でした。

患者の夜の給食は確保出来ているとの事でしたが、母と私の食料がありません。
アパートに戻ると食材はあるのですが、また大きな地震があったら父を残す事になります。
それにアパートだから何かあったら危険。
暫く病院に居た方が良いのではないかと判断し、母には父の側にいてもらい、私一人で階段を使って地下の売店まで食料を買いに向かいました。
9階から地下までの階段往復はきつかったです。階段を降りながら「ここで使う体力を温存して何も食べないのと、こうして体力を消耗して少し食べるのとでは同じ事ではないのか」という疑問を抱えながらもどうにか地下に到着。
到着した頃には既に売店に食べ物が殆どなく、母用のスパゲッティと私用のパンを二つ買いました。

父は携帯で幾度も弟の安否確認。
電話が全く繋がりませんでしたが、ドコモ(個人携帯)とソフトバンク(会社携帯)を2台持っていた父は二刀流で電話をかけ続け、ソフトバンクの方で繋がりました。
実家は被災地付近なので、停電、断水があったそうですが、どうにか大丈夫なようでした。
本当は弟も翌日病院に来る予定でしたが、当然来れなくなりました。でも来なくて良かった。実家の状況を伝えたり、何かあった時に外部から動ける人がいなくなるので。
私も主人に連絡し、私の自宅の安否確認も取れました。(私の自宅は被災地から遠いので安心してましたが、停電はしたようです)

当日は面会の人も特別許可で夜間も居て良い事になっていたようですが、余震も少なかったので一旦母とアパートに戻る事にしました。父は「また余震が来る・・・」といいつつ、結局母と私に帰って欲しくないだけなのが良くわかりました。
「何かあったらすぐ来るから。」と言い、病院を後にしました。

・・・と、抗ガン剤の副作用がどうだとか考える暇もない一日になりました。

その日はアパートでいつ地震が来ても良いように、服を着てコートを来て、靴下をはいて、鞄まで持ったままベッドに横になりました。万一また地震が来た時にすぐに逃げれるよう、足元に非難具を置き、予行練習として「地震だ!」という合図で私が起きて荷物を持って逃げるという練習している姿(万一のためにとコートの上に毛布を腹に巻いて紐で縛り付けて腹巻き状態にしていた)を見て、笑いを堪え切れなくなった母は大笑いしていました。そういう母も、コートを着て帽子をかぶって鞄を斜め掛けにして寝ていたので、二人で大笑いでした。父が癌と宣告されてから数ヶ月ぶりに笑えた日でした。
幾度か大きな余震があり、その都度予行練習通りに、コートの上から腹に毛布を巻いて荷物を持って入り口確保をし、父にメール。
一晩中殆ど眠る事は出来ず、テレビをつけっぱなしにしたまま横になっていました。
窓から外を見ると、深夜にも関わらず、大きなビルに灯りが沢山ついていました。帰宅難民を間近で目撃しました。

不謹慎な表現が多くご気分を悪くされた方がおられたら申し訳ありません。
誰かの突然の死、思いもしない突然の出来事、生活の急な変化は、震災に遭われた方達にとって、私達の想像する以上の苦しみだと思います。ですがほんの少しだけは理解しているつもりです。父が今も生きてくれている事や、私たち家族が生きている事に感謝です。
生きている事に感謝して、笑える時は笑いましょう。生きている者が出来る事はそれしかないんです。
震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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自己紹介:
30代の兼業主婦です。父を救いたい一心で癌について日々情報を集めています。誤字・脱字・文章の読み辛さ等はご勘弁下さい。何せ昔から国語が大嫌いなので(笑)

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