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大腸癌末期を完治させる

ある日突然62歳の父が直腸癌末期と診断されました。娘として父を絶対に救います。

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肺への転移

FOLFORIに切り替えて、1回目の投与から2ヶ月放置。
きっとそのせいで転移したんだと思います。
やはり大腸癌ガイドラインに沿って治療するのが正しい。そして抗ガン剤は癌が増殖する前に投与するから効くのであり、ほおっておくと増癌剤であり投与の意味がないという私の推測も正しかったのではないかと思います。
父の余命がまた少し減りました。

父の転移を知ったのは母からの電話です。
用事もないのに夜に母から電話が鳴った時点で嫌な予感がしました。
母の最初の声「もしもし」が少し明るかったので、父の検査結果に異常なしを期待して「どうした?」と返したところ、声のトーンが急に落ちて「お父さんさ、肺に転移したって」と言いました。
私は「えっ・・・」と言ったまま携帯電話を片手にうずくまってしまいました。
母は強いです。「いつか転移はするんだから。もうなるようにしかならないんだから。あまり落ち込むな、まだどうなるか分からない、新しい抗ガン剤でまた肺の転移が消えるかもしれないじゃない」と私を励ましてくれました。

母の言葉で冷静さを取り戻し、詳しく父の状況を聞いたところ、右肺の下部に6mmの癌が見つかったそうです。
進行癌になった以上、いつか転移する事は覚悟していましたが、転移するなら肝臓にと思っていました。しかし願いは叶わず、肺でした。
不幸中の幸いは、動脈付近ではないという事。そのため梗塞を起こす心配はひとまずないとの事でした。それを聞いた父はパニックになっていたようです。

父が「お母、肺に転移したよ」と母に電話し、母は「ふーん、そう」とかなり冷静な応答をしてしまったようで、それが父を怒らせてしまったようで、母に激しい八つ当たりをしたそうです。
母も冷静を装うのでいっぱいいっぱいで強がった「ふーん」、
父も本当は母に心配して欲しかったから「八つ当たり」
夫婦どちらも辛いんです。
母は気丈にしつつも、少し声が震えていました。それに気づいた私は「まっ、こうなりゃやるだけやってみて、あとは野となれ山となれだね!」と言うと、少し明るい声で「そうだ、そうだ」と言っていました。
母にとって、世間では夫婦として第二の人生これからだという時に、友達も殆どおらず唯一の相棒である父に先立たれてしまうかもしれないという恐怖、そしてまたその現実に一歩近づいたわけで、どれほど苦しい事かと思いました。孤独になる恐怖というのは娘の私でも想像できません。だって私には、父がいなくなっても母がいるから。
もしかしたら、母は父が死ぬ時は、自分も死にたいって思っているんじゃないのかなと思いました。
そして、母が考えている事を全てお見通しなのが父です。
一人になる恐怖を抱える母を残し、また死に一歩近づかなければならず、母を守りたい自分の意志と相反して病が進行し、それが父にとっての恐怖なはずです。
きっと父は、死ぬ事自体はあまり恐怖ではないのだと思います。母一人を残す事が何より辛いのです。だから死ねないし、死なないし、頑張ってるんです。だから転移して悔しくて母に八つ当たりしたのだと思います。
そんな両親に育てられた私は、その両親の願いを叶えてやる事が出来ず、自分の無力さに、ただただ、悔いるしか出来ません。
もっと勉強して医者にでもなっていれば、薬剤師にでもなっていれば、助ける事が出来たのかもしれない。
自分の命と交換出来るならば、一日でも早く父の命と取り替えて下さいと毎日お願いしています。そして、父と母が二人笑って長生きして欲しいのです。苦労ばかりしてきた人達だから。
私の寿命なんていらないのです。どうか父と母に分けて欲しい。

余談ですが、デジタル時計の表示がぞろ目になった時に願い事を3回唱えると願いが叶うという小学生以下の迷信を信じていて、いつもぞろ目になったら3回願っています。「どうかお父さんとお母さんが二人で仲良く長生きしますように。」と。

話は戻って、母との電話で、弟は仕事からまだ帰ってい・転移の事は伝えていないと聞いたものの、すぐに連絡した方が良いと思い、電話して伝えました。
弟も「えっ・・・そうかぁ。」と、気丈ではありましたが辛い様子が伺えました。
家に母一人だったので、仕事を少し早く切り上げて母の側に居てくれたらなと思って。(弟がどんな判断をしたのかは分からないけど、多分早く帰ってくれてるはずです。)


翌日、朝一の新幹線で父は帰宅。
父と直接電話しました。どうやらついに医師から父への余命宣告があったようです。
「このまま1ヶ月に1回のペースではあと1年持ちません。白血球が不足しがちだから2週間に1回は無理だけど、3週間に1回にしましょう」
さらに医師はこう続けます
「来年(2013年)1月まで様子を見て、その結果次第で(FOLFOLIが効かない場合は)、最後の切り札で、新薬を使います。その時は1週間に1回の投与が必用になるので、こちらに通うのは難しいでしょうから、こちらの病院にそのまま入院するか、地元の病院に通われて下さい、その時はきちんと連携を取らせて頂きます。
また、その新薬の副作用は皮膚に重度の湿疹が体中に出ます。」

こんな感じの説明があったらしいです。
つまり、3週間に1回でFOLFOXが効かなければ、3rdラインに移行という事です。
皮膚障害という事だったので、おそらくアービタックスとベクティビックス等の新薬を用いた治療を地元の病院でして、その最中に出血などが見られたり、皮膚障害が重度であれば、抗ガン剤治療をやめて、自宅でゆっくり過ごして、あとは天国。

こんな感じなんだと思いました。
父は頭の回転が早く、理解力もあり、非常に柔軟で、明るく、人の気持ちを思いやれる人間で尊敬しています。ただ唯一の欠点は目先の事ばかり見て先を見ないのです。
だからいつも痛い目に合うんです。
そんな父を見て育ちましたから、おかげで私や弟は十分先の事を見据える性格になりました。反面教師ってやつです。
2ヶ月もほおっておいたから転移したんです。父は自分で自分の寿命を縮めたんです。ばかです。本当に馬鹿な親父です。

父は1月の検査で新薬に切り替える場合は抗ガン剤を拒否したいと言いました。
なぜなら「皮膚障害は嫌」だそうです。
腹にストーマ、頭はハゲ、更に全身ブツブツで化け物になって死ぬのはご免だと言いました。
ですから私はこう諭しました。

「お父さんが嫌なら受けなくていいと思う。でも、新薬を使うという事は今の抗ガン剤(イリノテカン)は使わないのだから、髪の毛ははえて来ると思うよ」
父は「えぇ!!本当?そうなれば話は別だな、考える価値がある」

やはり目先に拘る父の性格は死ぬまで治らなそうです。
結局はとりあえず1月の結果次第だからあまり先の事を考えるのはよそうという結論に至りましたが、おそらく髪が生えるなら3rdを受ける覚悟もそろそろ出来ている筈。

という事で、前より少し禿げたものの、母の手作り帽子をかぶり、相変わらず酒を飲んで散歩して、テレビに文句を言ったりしながら、見た目は癌患者とは思えないほど元気に暮らしています。
ひとまず、ここまでがこれまでの流れです。

2012.11.7

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30代の兼業主婦です。父を救いたい一心で癌について日々情報を集めています。誤字・脱字・文章の読み辛さ等はご勘弁下さい。何せ昔から国語が大嫌いなので(笑)

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